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高城山は、神武東征の戦闘部隊の経路を記録した、山であることが分かりました。城の文字を用いたのは、我々が皆の命を守る城の役目という、自負を表わしたものと思われます。 熊本から出発しているので、敵対していた狗奴国との決着の戦いがあったことが分ります。 部隊を構成したのは狗奴国との戦いを経験していた、久留米出身の久米の人達でした。 ![]() 部隊は下関海峡を渡ると出雲に向かっていたが急遽、方角を変え四国を優先しています。これは鳥取の青谷上寺地で予想された、異国人との戦いには準備不足と判明し、変更した経路と考えます。翌々年の秋、決着の戦いを行っています。 四国を優先した理由は、国生みの中、火の事故で倒れた伊邪那美に敬意を表わすためで、徳島県吉野川市の高越山に、伊邪那美の神陵があります。 その後、舞鶴を経由しているのは、舞鶴に住むニギハヤイに、挨拶と東征の報告に向かった豊受大神を、万一に備え警護した足跡と考えました。 九州を出発して六年目、生駒山の孔舎衛坂を越えて奈良に入ろうとしましたが、長髄彦との戦いに負け、熊野に向かった記紀の記録が、同様に記録されています。 最後は、日本書紀に神武が国見した山と記す、宇陀の高倉山で終っています。 |
| No | 名前 | 所在地付近の地名 | 標高m | 緯度 | 経度 |
| 1 | 高城山 | 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陰 付近 | 838 | N32/48/27 | E131/00/55 |
| 2 | 高城山 | 宮崎県西臼杵郡高千穂町河内 付近 | 617 | N32/45/14 | E131/14/55 |
| 3 | 高城山 | 宮崎県西臼杵郡日之影町岩井川 付近 | 901 | N32/38/42 | E131/20/20 |
| 4 | 高城山 | 大分県佐伯市上岡 付近 | 320 | N32/56/19 | E131/51/23 |
| 5 | 高城山 | 福岡県京都郡刈田町南原 付近 | 419 | N33/46/06 | E130/57/10 |
| 6 | 高城山 | 広島県広島市安芸区瀬野町 付近 | 496 | N34/25/23 | E132/34/36 |
| 7 | 高城山 | 広島県山県郡太田町中筒賀 付近 | 766 | N34/33/23 | E132/15/60 |
| 8 | 高城山 | 島根県浜田市三隅町三隅 付近 | 362 | N34/46/34 | E131/58/53 |
| 9 | 高城山 | 鳥取県倉吉市福積 付近 | 214 | N35/24/56 | E133/44/43 |
| 10 | 高城山 | 岡山県岡山市北区建部町和田南 付近 | 337 | N34/55/08 | E133/52/38 |
| 11 | 高城山 | 徳島県美馬市木屋平 付近 | 1628 | N33/53/30 | E134/14/23 |
| 12 | 高城山 | 兵庫県篠山市八上上 付近 | 462 | N35/03/42 | E135/15/21 |
| 13 | 高城山 | 京都府綾部市七百石町 付近 | 299 | N35/20/56 | E135/17/59 |
| 14 | 高城山 | 大阪府泉佐野市大木 付近 | 649 | N34/20/49 | E135/23/51 |
| 15 | 高城山 | 和歌山県有田郡広川町名島 付近 | 136 | N34/01/31 | E135/11/08 |
| 16 | 高城山 | 和歌山御坊市名田町楠井 付近 | 239 | N33/50/17 | E135/12/31 |
| 17 | 高城山 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山 付近 | 698 | N34/21/01 | E135/52/41 |
| 18 | 高城山 | 奈良県宇陀市榛原区赤埴 付近 | 810 | N34/30/21 | E136/01/12 |
| 19 | 高城山 | 奈良県五條市西吉野町川股 付近 | 1111 | N34/14/05 | E135/48/18 |
| 20 | 石高城山 | 新潟県加茂市黒水 付近 | 169 | N37/37/23 | E139/06/32 |
| 21 | 高城山 | 新潟県妙高市青田 付近 | 474 | N37/03/30 | E138/12/10 |
| 22 | 高城山 | 岐阜県下呂市馬瀬黒石 付近 | 1511 | N35/57/23 | E137/09/44 |
| 23 | 高城山 | 宮城県登米市東和町米川 付近 | 269 | N38/47/39 | E141/22/46 |
| 24 | 高城山 | 宮城県登米市東和町米川 付近 | 296 | N38/47/22 | E141/18/21 |
| 25 | 高城山 | 秋田県山本郡三種町森岳 付近 | 107 | N34/45/04 | E138/58/17 |
| 26 | 高城山 | 秋田県由利本荘市岩城下蛇田 付近 | 170 | N40/06/14 | E140/06/34 |
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戦闘部隊の経路に見つかる破鏡 弥生終末の遺跡から見つかる破鏡が、高城山の経路と、よく一致しました。 高城山の経路図に、破鏡出土の遺跡を重ねています。 |
戦闘部隊経路に重なる破鏡の出土分布 破鏡の図
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戦闘部隊は命の危険がある為、家の鏡を割って、家族の絆として持参したものと思われます。穿孔し、紐で首から下げて無くさないようにしていたが、突然の移動や激しい戦いの中、無くしたものが集落遺跡から見つかります。 一方、九州の塚から見つかる破鏡は穴を開けたもので無く、棺の外に張り付けた状態で見つかります。息子が帰還してきたときに、息子が誰の棺か分かるようにした破鏡であることが分かります。 |