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 択捉島を日本の国境とした、大山津見神



 全国にある大山は、大山津見神が古代に全国を踏破して名付けた足跡と思われます。
その名の通り、全国津々浦々を見て大山を名付けたことから、この名が命名されたと考えています。

大山の分布図

 図は全国の大山が、日本列島の形を認識した記録に見えてきたものです。富士山を屈曲点と考えていたことが分かります。
 富士山より西の列島は夏至の日の出方角を指す二本の平行線で表現していて、大陸に延長すると、魏志倭人伝が記す中国の 会稽(かいけい)と東冶(とうや)に至ります。魏志では倭国はこの東と表現しているので、当時は夏至の日の出方角を東としていたと思われます。
また、境が不明確になりやすい千島列島の択捉島に大山を名付けて、倭国の国境としています。
 後に、大山津見神の孫娘の豊受大神が、神武東征の後半の東国移住作戦の中の巡礼で、この大山を訪ね、国後島の東端に稲荷山を名づけています。


 
No名前所在地付近の地名標高m緯度経度
1大山北海道択捉島709N44/58/00E147/48/09
2紋別山(大山)北海道紋別市大山町338N44/20/33E143/19/09
3大山北海道ひだか町静内高見1361N42/34/13E142/39/43
4大山長根青森県中泊町小泊76N41/07/51E140/17/27
5差鳥大山岩手県八幡平市古屋敷471N40/05/52E141/04/57
6大山秋田県大館市376N40/18/53E140/31/43
7大山山形県大江町富沢317N38/21/29E140/10/54
8大山栃木県日光市瀬尾1158N37/48/21E139/37/12
9大山栃木県日光市大室404N36/44/04E139/45/33
10大山群馬県下仁田町西野牧1183N36/17/24E138/39/28
11大山群馬県下仁田町栗山857N36/11/23E138/48/32
12大山千葉県館山市波左間194N34/57/51E139/46/40
13大山東京都父島ケータ島88N27/40/49E142/08/31
14大山埼玉県秩父市大滝2225N35/56/11E138/44/15
15伊藤大山千葉県大多喜町紙敷219N35/17/09E140/12/13
16大山神奈川県伊勢原市1252N35/26/27E139/13/52
17大山新潟県三条市塩野渕484N37/29/22E139/08/34
18大山石川県加賀市高尾町86N36/19/45E136/18/59
19大山石川県小松市丸山町920N36/14/43E136/33/45
20大山岐阜県郡上市白鳥町石徹白1129N35/57/11E136/45/53
21大山岐阜県加茂郡富加町大山72 N35/29/52E136/58/25
22大山静岡県静岡市葵区足久保奥組986N35/04/06E138/17/09
23大山三重県鳥羽市菅島236N34/29/30E136/53/22
24大山愛知県田原市和地町328N34/36/08E137/08/47
25大山和歌山県和歌山市冬野94N34/10/24E135/12/16
26大山和歌山県日高川町入野112N33/54/19E135/12/15
27大山和歌山県すさみ町大鎌544N33/32/22E135/37/57
28大山島根県雲南市大東町塩田617N35/17/55E133/03/01
29大山鳥取県大山町大山1729N35/22/16E133/32/47
30大山島根県雲南市加茂町岩倉283N35/22/07E132/53/19
31大山徳島県上坂町神宅大山691N34/09/49E134/23/41
32大山岡山県美作市巨勢342N34/58/39E134/08/20
33大山岡山県高梁市成羽町中野663N34/50/57E133/28/13
34大山岡山県倉敷市生板145N34/38/20E133/46/45
35大山岡山県倉敷市児島塩生223N34/29/10E133/46/46
36大山広島県庄原市上谷町747N34/50/23E133/06/23
37野田大山広島県庄原市東城町塩原832N34/57/37E133/15/24
38大山福岡県八女市星野村599N33/14/12E130/43/29
39大山佐賀県唐津市鎮西町馬渡島202N33/34/44E129/44/45
40大山大分県佐伯市本匠字山部576N32/55/40E131/38/57
41大山壇山長崎県対馬市美津島町今里263N34/16/29E129/14/02
42大山鹿児島県知名町(沖永良部島)240N27/22/09E128/34/00
43大山岡山県赤磐市石上240N34/51/12E133/58/08/00

 その後
 大山津見神の娘らは歴史に、大きな足跡を残しました。
一人は木花之佐久夜媛(コノハナノサクヤヒメ)で、邇邇芸命との間に海幸彦・山幸彦の双子を産み、山幸彦の子が神武に続くことになります。
 今一人は、神大市比売(カムオオイチヒメ)で、須佐之男命との間に豊受大神を産み、豊受大神は13歳で天照大神の跡を継ぎ倭国王となって、 神武と共に東征を行い古墳時代を開くことになります。