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神武東征における、先祖の御魂運搬部隊の経路が、高倉山で記録されていました。下図はその経路図です。
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薩摩半島で邇邇芸命と山幸彦の御魂を、
朝倉市の麻底良山では天照大神の御魂を背負い出発したことを記録しています。この高倉山の御魂運搬の一つには、高倉下が天照大神の名のもとに、熊野で神武に届けた神剣・布都御魂も 含まれていたと思われます。岡山の御魂運搬部隊の経路途上に石上布都御魂神社が見つかります。 経路は、戦いのあった河内を迂回し淡路島を経て和歌山に上陸し、宇陀の高倉山で終わっています。 宇陀の高倉山には神武が国見のため登った記録がありますが、ここですべての御魂を、豊受大神から 神武に引継ぎされ、大王の位も神武に移譲されたと思われます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東国の高倉山
左図は東国の高倉山の分布図です。 豊受大神宮(外宮)の境内に高倉山があります。外宮は804年雄略天皇の夢枕のお告げで 造営されたとされています。この時、造営地は豊受大神のゆかりの高倉山の麓が選ばれたのでしょう。 このように東国の高倉山は、経路の記録でなく、いくつかの指し示し的な記録と思われます。 右下図は、群馬県と新潟県の先にある三国峠付近の高倉山です。
越国に派遣された副将軍吉備武彦が、峠の開削に携わった記録と思われます。
左図は山形の長井から日光に続く高倉山で、長井を流れる野川流域の開拓を行っていた副将軍の大伴武日が、
遅れて日本武尊と待ち合わせの松戸に向かった、山中行の経路と考えました。右下図は、山形県の長井市付近の鷹の文字がある山の、中心に名付けられた高倉山です。
其の他、東北の高倉山は経路ではなく、〇倉山などとの組で指し示しを記録している事例が多い。 |