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吾妻山 (あづまやま) 吾嬬山 (かづまやま) 吾妻耶山(あずまやさん) 四阿山 (あづまやさん) 四阿屋山(あづまやさん) 日本武尊東征の際の出来事です。東京湾を船で三浦半島から、房総半島に渡ろうとしました。太陽が富士山に沈む日、四月八日と考えています。雲行は良くありませんでしたが、この日にこだわった尊は船を出しました。東京湾の真ん中で、春の嵐は突然やってきました。多くの船は今にも沈みそうです。このとき、妃の弟橘媛は、何としてもこの渡海を成功させなければと考えました。そして、自分を犠牲にして神に祈ることにしました。海に身を投げたのです。嵐はたちまちに鎮まり、尊は無事、木更津の浜に寄せることができました。富津岬を越えて北に流されていたのです。振り返ると夕日に富士山が輝いていたでしょう。 弟橘媛が入水する前に謳った歌が届けられました。 さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも 焼津で火に囲まれた中で、自分の名を呼んでくれた尊を歌っています。この歌を知らされた尊は、弟橘姫の心を知り、その浜をいつまでも去らなかったといいます。 尊は東征の中で、たびたび弟橘媛を思い起こし、吾妻山を残しました。旅の終わり軽井沢の見晴らし台では東南の方、走水の方角を見て「吾嬬よ」と呼びかけました。四阿は公園の東屋のことですが、媛への呼びかけに、この字があてられたのでしょう。
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